神戸地方裁判所 昭和48年(行ウ)2号 判決 1976年3月31日
原告 中野正俊 ほか一名
被告 芦屋税務署長
訴訟代理人 岡崎真喜次 風見幸信 大橋嶺夫 ほか三名
主文
原告らの請求をいずれも棄却する。
訴訟費用は原告らの負担とする。
事 実 <省略>
理由
一 請求原因1の事実中、原告恵の昭和四六年分の資産所得が亡岩次郎から相続した資産から生じたものであるとの点を除くその余の事実及び請求原因2の事実は何れも当事者間に争いはない。
二 原告らは、資産所得合算制度は資産の分散による租税回避行為の防止を目的として立法せられたものであるところ、原告恵の昭和四六年度の資産所得は、亡父岩次郎から相続によつて承継した資産から生じたものであるから、租税回避行為のなかつたことは明らかであり、従つて右制度の立法目的から考え、原告恵の右資産所得には右制度の適用はない旨主張するので、以下右の点に付て検討する。
(一) 原告恵の昭和四六年度資産所得に付て。
<証拠省略>によると、原告恵の昭和四六年度資産所得は、原告正俊が代表取締役である中野証券株式会社(以下単に中野証券と云う)の株式の配当所得、大阪市東区今橋所在の土地、建物(賃借人中野証券)、同市西成区山王町所在の土地(賃借人訴外村田岩三)の各賃貸料所得であることが認められる。
次に、<証拠省略>並びに弁論の全趣旨を総合すると、
1 原告恵は昭和八年三月一三日訴外岩次郎、同人の妻訴外中野咲江(以下、訴外咲江という)の養子となり、原告正俊は昭和一八年一〇月二〇日原告恵と婿養子縁組をして右両訴外人の養子となつたこと、訴外岩次郎は昭和三七年七月一五日死亡し、その相続人は原告両名と訴外咲江だけであつたこと、
2 原告恵は岩次郎の死亡により同人の所有していた中野証券の株式のうち九万株を相続し、従前有していた同社の株式と合せて一一万三五三〇株を所有することとなつたこと、なお原告正俊は四万一八三〇株を相続し、従前の所有株式と合せて二三万四二三〇株となつたこと、原告恵所有の右株式は、その後株式配当、増資、贈与によつて合計七万二一四五株増え、他方売却等によつて合計五万四〇〇〇株減り、昭和四五年九月三〇日から昭和四六年九月三〇日までの間の株数は一三万一六七五株であつたこと、
3 訴外岩次郎の死亡により、原告両名及び訴外咲江は、大阪市西成区山王町所在の宅地及び同市大正区北泉尾町所在の八筆の宅地を相続により共有することとなつたこと、右の山王町の宅地は昭和四六年当時も原告両名及び訴外咲江の共有として訴外村田岩三に賃貸していたこと、しかし北泉尾町の八筆の宅地は相続開始当時訴訟が係属していたこともあり、昭和三七年一二月に紛争の相手方に合計七五三万円で売却し(手取約五七〇万円)、その代金に原告両名及び訴外咲江が各自預金等から調達した資金を加えて、約九〇〇万円で昭和三八年七月頃寝屋川市の三筆の土地を買い右三名の共有としたこと、その後昭和四一年一二月に、原告両名、訴外咲江及び中野証券の四名は一億一〇〇〇万円を以て大阪市東区今橋所在の土地三筆と地上建物を購入し、三筆の土地のうち一筆は中野証券の単独所有、残り二筆は原告両名と訴外咲江の共有(持分各三分の一)、建物は右四名の共有(中野証券の持分一一〇分の四七、他の三名の持分は各一一〇分の二一)としたこと、右買受代金中二五〇〇万円は原告両名と訴外咲江が連帯借主となつて富士銀行から、一八〇〇万円は原告正俊が大和銀行から、それぞれ借受けて調達したものであること(その余の五八〇〇万円の調達方法については原告正俊の供述のみであつて他にこれを裏付ける証拠はない。)その後昭和四二年八月に原告両名及び咲江は前記寝屋川の土地を代金三一六九万三〇〇〇円で売却し、これを右各銀行からの借入金の返済にあてたこと、原告両名及び訴外咲江は昭和四二年二月、右建物と右三名共有の二筆の土地とを中野証券に賃貸して昭和四六年に至つたこと、
以上のとおり認められる。
右各事実によれば、昭和四六年度の課税の対象となつた原告恵の資産所得の内で、原告ら主張のように、亡岩次郎から相続した資産から生じたと明確に言い得るのは、前記山王町の不動産からの所得だけであつて、他の資産所得については、転売の結果得た不動産からの所得であつたり、又相続後約一〇年の間にかなり増減のあつた中野証券の株式からの所得であるなど、相続によつて得た資産からの所得であると言えるかは相当の疑問があると言わざるを得ない。
又亡岩次郎の相続人は原告夫婦と訴外咲江とであつて、右三名が生計を一にしていることは<証拠省略>によつて明らかであるところ、この様な場合相続によつて承継した財産から生ずる資産所得については租税回避行為の存在する余地がないと断定することは出来ないのである。従つて原告恵の前記株式及び不動産が総て亡岩次郎から相続によつて承継したものと言えるとしても、そのことから直ちに、右資産から生じた資産所得について租税回避行為の存しないことが明白であるとは言えない。
(二) 資産所得合算制度の立法目的について。
1 現行所得税法の資産所得合算制度は、生計を一にする親族のうち、(イ)、夫と妻、(ロ)、父又は母と子、(ハ)、祖父又は祖母と孫との間で、これらの者の中に資産所得を有する者がいる場合に、主たる所得者(資産所得以外の所得が最も多い者、総所得金額から資産所得の金額を控除した金額のある者がいないときは資産所得の金額が最も大きい者)の所得に、五万円以上の資産所得を有する親族(合算対象世帯員と云う)の資産所得を合算し、これに一般の累進税率を適用して税額を算出した上、これを主たる所得者の総所得金額と合算対象世帯員の資産所得金額とに按分し、そのそれぞれの税額を以て主たる所得者及び合算対象世帯員各個人の税額(但し合算対象世帯員に付ては、資産所得以外の所得に付て別に計算した税額が合算される。)とする、と云うことを骨子とするものであり、主たる所得者の総所得金額と合算対象世帯員の資産所得との合計額から右の者らにかかる雑損控除、医療費控除をした後の残額が五〇〇万円以上(昭和四六年度の場合)である者にのみ適用される制度である。
2 右資産所得合算制度は、昭和三一年一二月二五日の臨時税制調査会の答申に基づいて旧所得税法に制定せられ、現行所得税法に引き継がれたものであるが、同答申は右制度の採用を勧告する理由として大要次の通り述べている。
即ち、現在の所得税制は個人を課税の単位としているが、只個人が世帯で生活している事実を配慮して、(1)、個人が事業を営み、生計を一にする配偶者等が右事業から給与等を得ていても、右給与等の所得は事業主個人の所得に合算して課税することにしているが、これは右の如き事業を営む主体は個人よりもむしろ世帯自身であると云う状況に着目してとられた制度である。(2)、扶養親族について認められる扶養控除も個人が世帯で生活を営んでいることに着目してとられているものであり、これは消費単位としての世帯に着目し、世帯の状況による担税力の差異を考慮した制度である。ところで右の如く個人を所得税の課税単位として取扱うことについて、担税力に応じて所得税を負担すると云う見地から、次の点に問題がある。
(ア) 一つの世帯に所得者が一人の場合と二人以上の場合とでは、世帯の所得の総額が同じでも、累進税率の構造上所得税総額は後者の方が前者よりかなり少額となり、担税力と云う見地から見る場合後者の負担が軽過ぎると認められる場合が多い。夫婦共稼ぎの場合はそれに伴う特別の出費もあり、生活の不便も多いこと等を考慮しなければならないが、資産所得の場合は斯る特別の担税力の減退もないから、斯様な所得税負担の差異が適当であるか疑問である。
(イ) 個人単位課税の所得税制では、実体が同じであつても法的構成を変え所得者を多数とすることによつて合法的に所得税負担を軽減することが出来ると云う不合理がある。世帯員の資産所得は、名義のいかんを問わず通常世帯主が自由に処分出来るのが我国の実情であつて、単に名義を分割することによつて負担を軽減出来るのは不合理である。
これらの矛盾をいかにして解決するかが、負担の公平の見地から特に問題とすべきである。以上の如く述べ、問題の検討として、所得税の累進課税の単位として個人をとるか世帯をとるかは所得税制の基本に関する問題であるところ、所謂勤労所得に付ては従前通り個人単位の課税をするのが適当であるが、資産所得に付ては世帯を課税単位とする方が生活の実態に即した課税となると考える、と述べている。
3 以上の如き資産所得合算制度の立法経過からすると、我国の所得税制が個人を課税の単位として捉えているとは言え、担税力の測定の面では個人の消費単位である世帯の状況を無視することは出来ず、むしろ世帯単位に担税力を考える方が生活の実感に合致すること、殊に世帯員の中に資産所得を有する者がいる場合と然らざる場合とで当該世帯に属する個人の担税力に相違があること、又資産所得はその名義を世帯の者に分散することによつて税負担の軽減をはかることが容易であり、個人単位の課税に徹すると却つて税負担の不公平感を生ずること、従つて資産所得については世帯単位的な課税方法を採用する方が生活の実態に即した課税をすることが出来、担税力に応じた税負担と云う面ではより適切であること、等の理由から前記の如き内容の資産所得合算制度が採用されるに至つたものと認められるのである。そうとすれば、右制度は租税回避行為の防止をその目的の一としたことは明らかであるが、同時に担税力に応じた税負担と云う面も考慮された結果採用されたものと言うべきである。
(三) 以上、(一)、(二)に検討したところからすると、冒頭掲記の原告らの主張は到底採用し難いものと言わねばならない。
三 そこで、資産所得合算制度が憲法違反であるとの主張について判断する。
1 租税は、国家の営む諸活動の財政的基盤をなすものであつて、租税体系は国の財政需要の状況、社会・経済の構造、国民生活の状況、国民所得の分配の状況、その時代の社会・産業政策等の多数の不確定な要素を総合的に考慮してはじめて樹立しうるものである。従つて、いかなる租税体系を組むかは、主として国民経済・財政政策の問題として、立法府の合目的、立法政策的な裁量判断にまつほかはないと言うべきである。けだし、ある税制を定立し、その内容を決定するに当つては、国民経済の実態についての正確な基礎資料をもとにして、具体的な租税法規が現実の国民経済の安定と成長にどのような役割をはたし、又どのような影響を及ぼすかを洞察し、これに関連する社会的・経済的諸条件についての適正な評価と判断をすることが必要不可欠であるところ、このような評価と判断の機能はまさに立法府の使命とするところであり、立法府こそがその機能を果たす適格を具えた国家機関というべきであるからである。従つて、裁判所はその裁量判断を尊重するのを建前とするが、租税法規と言えども憲法を頂点とする法秩序体系の一環をなすものであるから、それは憲法の予定する諸原則に背反するものであつてはならないことは勿論である。それ故、裁判所は、当該租税法規の適用の結果が、憲法の諸原理に照らして、その許容されるべき合理的限界をはるかに超えるなど、立法府がその裁量権を免脱し、当該租税法規が著しく不合理であることが明白である場合に限つて、これを違憲としてその効力を否定することができるが、右の程度に至らない場合には、当該租税法規は憲法上許容されるものと言うべく、政治的問題としてその当、不当が問題となることはあつても、直ちに違憲無効の問題を生ずることはないと解するのが相当である。
2 ところで、今資産所得合算制度について考えてみるに、現行の累進課税体系のもとにおいては、資産所得合算制度の対象とされる夫婦は、対象とされない独身者よりも不利益に扱われていることが明らかである。
然しながら、資産所得合算制度は、前記の通り、世帯員の中に、資産所得を有する者がいる場合と然らざる場合とで、当該世帯に属する個人の担税力に差異があるとの判断の下に、両世帯員たる各個人にそれぞれの担税力に応じた負担をさせる為に制定せられたものであるところ、右前提となる判断は、立法府によつて国民の生活実態その他前記1に掲げた諸要素を考量の上なされたものであつて、特にこれを不合理とする理由の存しない本件では、裁判所は右立法府の判断を尊重すべきものである。
そうとすれば、資産所得合算制度の対象となる夫婦の夫又は妻が、右制度の対象とならない独身者たる個人より多額の所得税を負担することとなつたとしても、それは担税力に応じた負担を実現する為の制度を適用した結果であつて、右差別は合理的な理由に基くものと云うべきであつて、これを以て憲法一四条の法の下の平等の原則に反するものと云うことは出来ない。
又原告らは、憲法一三条、一四条及び二四条二項の個人主義法の下の平等の原理は、西ドイツ基本法六条一項の婚姻保護の原理を含むものであるとの前提のもとに、前記資産所得合算制度は婚姻生活を営む夫婦者を独身者より不利益に扱うもので憲法の右各条項に違反する旨主張するが、憲法二四条は、家庭生活に於ける個人の尊厳と両性の平等とを宣言し、封建的家族制度に於ける、家の為、男子の為の拘束から、個人特に婦人を解放することを規定したものであつて、婚姻生活を送る夫婦者と独身者との間の平等について規定したものではないし、又同条二項は西ドイツ基本法六条一項のように婚姻や家庭に国家的、社会的意義を認めて、これを維持、保護すべきことを規定したものではない。従つて原告らの右主張は到底採用し難いものである。
四 以上の通りであるから、被告のした本件課税処分は適法であつて、その取消を求める原告らの本訴請求は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して主文の通り判決する。
(裁判官 林義一 棚橋健二 佃浩一)